ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

2才児不明事件、警察捜索500人に赤っ恥をかかせた78歳のおじいちゃん。

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山口県周防大島町で自宅近くで行方不明になった2才児の捜索、発生から3日が経過し、2歳時の両親も生存を危ぶんでいた状況の中、九州の大分県からボランティアで捜索に協力するためにやってきた78歳のおじいいちゃんが捜索開始からものの20分で不明の2才児を発見したという。「(不明になった坂道から)下がることはないと思った。不思議なもんで子供っていうのは上に上がるのが好きみたい」と捜索のコツについても語ったのだ。事件発生から3日間、延べ500人で懸命に捜索していたという警察・消防はたった1人のボランティア捜索にも劣る捜索を繰り返していた事が判明し、とんだ赤っ恥を掻いたことになる。つまり、発見した78歳のボランティア尾畑春夫さんが言うように2歳児の行動パターンを知っていれば3日間も発見できないと言うことは無かったはずだ。「(発見したら)私が抱きしめて直に(母親に)お渡しします」と約束して捜索を始めた尾畑さんが、2才児を発見するや『(その子を)渡してください』と警察が来たけど「イヤです」と断り母親に約束通り直接子供を手渡したという。「なんぼ警察が来ようが関係ない、お母さんのあの嬉しそうな顔は一生(目に)焼き付いて離れんだろうな」と語った尾畑さん。「子供の習性を考え」、「お母さんの笑顔のために」捜索活動をした尾畑さんが500名の警察・消防より捜索能力に長けていたのは「自明の理」だったかもしれない。

マハティール氏「ドイツはナチスを謝罪しない、日本は戦争を謝罪し続けてる」。

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先頃、92歳と高齢ながらマレーシアの首相に返り咲いたマハティール氏。37年前に首相に就任した際に「ルックイースト」政策を打ち出し、個人の利益より集団の利益を優先するイーストつまり日本の労働倫理を見習おうと国民に呼びかけた。つまり個人優先の西洋的な価値観よりも同じアジアの先進国日本を見習おうという考え方だ。マハティール氏の日本愛はこれだけにとどまらない。日本は戦争の贖罪意識から解放されるべきだといい「ドイツを見てください。誰が彼らにナチスの残虐な行為を謝罪して回れと求めているでしょうか。しかし日本は2世代前の人間がやらかしたことを謝罪しなければと思い続けている。日本が再び軍事大国になることはないという保証があれば謝罪の必要はありません」とまで言い切っている。マハティール氏のこの言葉は中国や韓国にとっては耳の痛い発言だろうが、言われてみればそうかもしれない。さらには、日本の終身雇用制度の崩壊についても「企業と社会の生産性を損なう西洋のシステムをなぜ盲目的に受け入れるのか」とマハティール氏は嘆いている。「日本人は日本固有の文化にもっと誇りを持つべきです。もしあなた方(日本人)がそう思っていないのなら私の口からお伝えしたい。『あなた方の文化は本当に優れているのです』日本の力を忘れていませんか?」。マハティール氏が「日本よもっと自信を持て」というこのメッセージが今の日本の政治家達の耳にどれだけ届いているのだろうか。

ビリー・ホリディ「奇妙な果実」作詞作曲は、何と黒人ではなく白人だった。

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黒人への差別を呪いで表現したプロテストソング「奇妙な果実」。ビリー・ホリディの物悲しい歌声とともにアメリカの負の歴史を物語る名曲として知られている。アメリカの黒人音楽であるジャズナンバーを代表するこの曲の作詞作曲は当然黒人の手によるものだと思ったら、実はフランク・シナトラの作品も手がけていた白人作曲家ルイス・アレンの手によるものだった。木に吊るされた黒人の屍を「奇妙な果実」として表現するという衝撃的なあの歌詞もアレンの手によるものだ。「南部の木は、奇妙な実を付ける。葉には血が流れ、根には血が滴る。黒い体は南部の風に揺れる」この詩は、1930年の夏に新聞に掲載された「黒人が木に吊るされ死んでいるリンチ写真」をみて衝撃を受けたアレンが一気に書き上げた詩であり、その後、彼の手によって曲が付けられあの名曲Strange Fruit(奇妙な果実)が誕生したのである。歌手のビリー・ホリディは最初にそのあまりにも陰惨な詩を見せられて、唄ったら必ず失敗すると思ったという。案の定、歌い終わると客席は一瞬シンと静まり返ったが一人の客の拍手をきっかけに客席全体が割れんばかりの拍手に包まれたという。「奇妙な果実」はやがてビリー・ホリディの歌声とともに全米での大ヒットとなり今も黒人差別のプロレテストソングの永遠の名曲として名高い。この曲を作詞作曲した白人ルイス・アレンは、実は黒人と同じアメリカ社会のマイノリティとして差別と戦った歴史を持つユダヤアメリカ人、差別される側の「痛み」を知っていたからこそ、差別を呪う「奇妙な果実」の名曲を生みだすことが出来たと言えるだろう。

 

「水を飲むだけで認知症が治る」竹内教授のノーベル賞級発見を検証すべし。

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テレビ番組「爆報THEフライデー」を見て驚いた。元人気アイドル高橋里華さんが、ほぼ寝たきり状態だった義父に1日1,500mlの水分補給を続けた所、夜間せん妄(幻覚や妄想)が消え、話し方がしっかりし、スムーズに会話できるようになったと実際に義父が快復した様子の映像とともに番組内で紹介されていた。実は、この水分補給の治療方法は、同じ番組で以前に紹介された俳優布施博さんの母親が1日1,500mlの水分補給で認知症が改善され、忘れていた家族の名前が思い出せるようになったのを見た高橋さんも実際に義父で試してみたのだという。この2人のタレント家族に起こった認知症が明らかに改善するという「奇跡」の元になったのは、5年前に発行された「水をたくさん飲めばボケは寄りつかない」の著者で国際医療福祉大学教授で医学博士の竹内孝仁医師が唱える画期的な認知症治療の方法だ。竹内教授は認知症に対しての医学的なアプローチを複雑な「脳」からするのではなく、「身体」の状況改善つまり体の半分を占める「水分」に「着目」し、わずか1〜2%の水分不足で人の意識が混濁することからヒントを得て「認知症」の症状改善には毎日の「水分補給」が効果的だと40年以上もまえから提唱し続けているドクターだ。認知症の原因は「脳が萎縮する」のが原因とされ、その改善策もその「萎縮」をどう改善するかが医学的課題とされるが、竹内教授の「水をたくさん飲む」という認知症の改善策はまさに医学界の「コロンブスの卵」的な発見と言えるだろう。しかし、残念なのはこの治療方法についての実証実験データが介護の実際の現場で、なぜかあまりにも少ないのが現状だ。2人のタレント家族が経験した「実証結果」をさらに数多く積み重ねることで、認知症治療に「水分補給」が有効だということがよりハッキリと証明できれば、竹内教授はきっとノーベル賞を受賞するに違いない。

 

 

 

 

名曲ウィーアーザワールド、仕掛け人ベラフォンテが語った本当の仕掛け人。

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1985年1月28日、アフリカ・エチオピアで飢饉に苦しむ人々を救おうとアメリカを代表するスーパースターが一同に会して誕生したチャリティソング「ウィーアーザワールド」。マイケル・ジャクソンダイアナ・ロス、スティビー・ワンダー、ビリー・ジョエルシンディ・ローパーなど全米のスター歌手45名が参加しレコーディングされたこのチャリティソングは、CDが発売されると売上2,000万枚で寄付金総額は6300万ドル(155億円)という驚異的な数字を記録した。この史上空前のチャリテイソングの仕掛け人は、20世紀のアメリカを代表する歌手ハリーベラフォンテというのが常識とされるが、仕掛け人は「本当は自分ではない」、とベラフォンテは発起人としてのインタビューの中で語っている。ベラフォンテはエチオピアの大飢饉の惨状をテレビニュースで知り「知った以上は何かしなくてはならない。どうするかと考えていた時、イギリスの若いボブ・ゲドルフという男が(エチオピア飢饉救済の)歌を出したんだ。『やられた』と思ったよ」イギリスで先行して発売されたこのチャリティソングに触発されてベラフォンテは「ウィーアーザワールド」の発起人となったのだという。話はこれだけで終わらない、スター歌手が集まっていたロサンゼルスのスタジオに招かれた本当の仕掛け人ボブ・ゲドルフは到着するなり、ビッグスター達の緊張感のない雰囲気に違和感を憶えて、自分が実際に見てきたエチオピア飢饉の惨状について皆に向かって切々と語りだしたのだ。(上の写真)その結果、ゲドルフの話が終わる頃には参加メンバーたちの目の色が変わり涙を浮かべるスターまで出ていたという。飢饉の惨状を見てきたゲドルフのナマの訴えを聞いてビッグスター達の気持ちがひとつとなり、あの名曲「ウイ・アー・ザ・ワールド」が誕生したのである。

マンガ美味しんぼで知った「醤油」の8割はニセモノという真実。

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恥ずかしながら、日本の醤油のほとんどが大豆の搾りカスでつくられている事実をマンガの「美味しんぼ」で10年ほど前に知った。醤油は日本の伝統的な調味料で大豆と小麦を使って発酵させて造るモノとばかり思っていた。しかし、実際には第2次世界大戦の開戦前の1940年に大豆の不足によって「大豆の搾りカスで醤油を造る」という国による指導が行われ、その製法は物資不足が続いた戦後にも引き継がれて醤油は「大豆の搾りカスで造る」という方法が現在では当たり前になってしまったのだ。その一方で、地方にある小さな醤油製造会社は、昔からの丸大豆と小麦を使った伝統的な製法を守りながら醤油を造り続け醤油本来の「味」を守り続けている、この点に目をつけたマンガ「美味しんぼ」第3巻第5話で「醤油の神秘」というテーマで醤油製造のほとんどがインチキだと暴露してしまったのだ。これに大手醤油メーカーは「大豆の搾りカスでも美味しい」と反論したが、その後、大手メーカーは大豆本来の美味しい醤油造りに目覚めて「丸大豆醤油」と銘打ったホンモノの醤油も製造販売するようになった。しかし、現在の醤油は相変わらず「大豆の搾りカス」で造った醤油が80%を占め、丸大豆で造った本来の醤油は20%に過ぎない。78年前、国策によって醤油が「大豆の搾りカス」で造られ、その味に慣れきってしまった日本人の舌が伝統の「丸大豆醤油」の味を理解するには「失われた78年の歳月」はあまりにも「長過ぎた空白」と言えるかもしれない。

黒人奴隷をサムライに出世させた信長の眼力、ハリウッドで映画化。

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今から437年も前の天正9年、織田信長に謁見したイエスズ会の宣教師ヴァリニャーノに同行していた黒人の召使を信長は大変気に入り家臣として召し抱えた話は有名だ。「信長公記」には「切支丹国より黒坊主参り候」「十人力の剛力」「牛のように黒き身体」と記述されている。信長は、黒人に弥助という名を与え、私宅と腰刀を授けていわゆる扶持持ち(米を支給する)士分(侍)として扱ったという。437年も前に下人や奉公人として雇うのではなく立派な侍として黒人弥助を家臣に取り立てたという人種差別の偏見を一切持たない信長をリスペクトした映画「ブラックサムライ」がハリウッドで映画化されることが決まった。奴隷という差別された身分の黒人が当時の天下人織田信長によって解放され、武士になることを認められて信長の終焉の地「本能寺」でも武士の一人として勇敢に明智光秀軍と戦った弥助こそ「侍」の理想像だというのが映画「ブラックサムライ」の製作意図だという。たしかに、当時の西洋人は皮膚の色が黒いというだけで黒人を差別したが、437年もまえの15世紀の時代に、信長は差別どころか家臣として黒人を遇したという点に白人が驚いたのだ。信長は異文化に対してつねに前向きな姿勢の持ち主で、戦いに西洋式火縄銃をいち早く取り入れた事でも知られるように背が高く屈強そうな黒人を見るなり皮膚の色で差別するどころか屈強な兵士として採用したいと思ったに違いない。織田信長の信条でもあった「人生夢幻の如くなり」弥助の「人生」を差別するのか、侍として活かすのか、その答えは信長らしく実に明快だった。映画の完成が待たれる。