ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

上原浩治を「キライと言うより憎んでたよ」、世界一のカブス監督が語る。

 

 

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昨年のワールドシリーズを制覇したカブスの名将マドン監督は、現在カブスの配下選手となった上原浩治投手とはかって敵味方として戦っていた間柄である。その当時を振り返ってマドン監督は上原浩治のピッチングについての印象をこう語っている。「上原が私のチーム相手に登板することは嫌いでは無かった、というよりむしろ憎んでいたという感じだよ。」「彼は打者の(ストライクゾーン)ギリギリの所に高めのボールを投げてくる。すごくフラストレーションが溜ったものだ」カブスに入団した上原を「いまはすぐ近くで彼を注視できる。球速は落ちたけど打者を眩惑させることが良くわかる。」「彼は大舞台に慣れていて萎縮したりしない、ビビったりもしない、我々にとって(上原の獲得は)素晴らしい選択肢だった。」とベタ褒めしている。マドン監督の言葉通り新チームカブスに移籍してからも上原は相変わらず「打者を眩惑する投球」を続けている。「握りはスプリットなのに投げ方はファーストボール(直球)、打者から逃げるように曲がりながら落ちる」と言う恐怖のスプリットと評されるボールや「140キロと遅いスピードなのにキャッチャーのミットからはみ出すほどの回転数がある」というファーストボール(直球)など、メジャーの強打者たちがかって見たことの無い上原の魔球は42歳を越えて未だにまったく衰えを知らない。世界一の野球監督さえ憎み続けたその投球術を駆使してこれから先もメジャーの強打者たちをさらに翻弄し続けてもらいたい。

トンチで60億円を集めた現代の「一休さん」が奈良に居た。

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今から40年前の奈良薬師寺は、老朽化が進み荒れに任せる状態のお寺だった。当時43歳の若さで奈良薬師寺管主に就任した高田好胤氏は創建から1200年以上の歴史ある薬師寺を何とかして創建当時の姿に戻そうと思い立った。しかしこの常識はずれの構想に周囲が驚いたのである。薬師寺の本堂である金堂だけでも再建費用は10億円、さらに西塔・中門・回廊など薬師寺の伽藍全体では60億円もの再建費用が必要だったからである。資金のあてなどまるで無い荒寺でいかにして資金を得るのか。若い管主高田好胤氏が思いついたのが「写経勧進」という方法だった。つまり全国の人々に「写経」をお願いし薬師寺に1人1000円で「納経」してもらうという方法だ。始めの年は1万人が納経して集まった金額は1000万円だった。この「納経」による寄付金集めのために、好胤氏自らも全国へ出向いて延べ8000回もの「法話」を行い「写経勧進」を人々に訴えて歩いた結果、9年後には寄付金が10億円までに増え、無事に金堂が再建されたのである。その後もこの「納経」というアイデアに満ちた寄付活動は続けられ、年を追うごとに寄付金が増え高田好胤氏が亡くなる前年の1987年にはついに60億円の寄付が写経によって実現したのである。「チリも積もれば山となる」という例えがあるが、高田好胤氏の一休さんのようなトンチのお蔭で無一文からはじまった「写経勧進」が薬師寺伽藍全体の再建に必要だった60億円を集めた奇跡のような物語。「ひとつの発想のもつ力」がいかに凄いものなのかを創建当時の姿へと復元された奈良薬師寺の伽藍の全景を眺めながら我々は感動せざるを得ないのだ。(注:1200年前の創建当初からある国宝の「東塔」は現在解体修復中である)

自らの死を予言したオーティス・レディングのドックオブザベイ。

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いまやR&Bのスタンダード曲となったオーティス・レデイングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」。この名曲をレコーディングしたわずか3日後にオーティス・レディングは飛行機事故で亡くなった話はあまりにも有名だ。レコーディングに際して「この曲は俺にとって初めてのミリオンセラーになるよ」という予言を残して亡くなったオーティス・レディング。その予言は見事的中し、ビルボードHOT100で1位、R&B部門で1位という輝かしい大ヒットを記録する名曲となったのである。死の3日前に行われたレコーディングはリミックス(再構成)する予定もあったが急きょ効果音に「波の音」を加えただけの状態で曲は完成された。故郷のジョージアの田舎から出てきたオーティス・レディングがカリフォルニアの波止場に佇み、自分の将来への不安感を切々と歌ったこの曲は聞く人の胸に響く哀愁が漂っている。この曲の中で聴く人の心に残るオーティスの口笛によるエンディングが最も印象的だが、実はこの部分、当初はオーティス自身が「語り」を入れる予定だったのだと言う。レコーディングの本番で何故かオーティスが、そのセリフが突然出て来なくなってしまい、急きょ口笛を吹いて曲を完成させたのだと言う。あの哀愁感漂うドック・オブ・ザ・ベイのエンディングの口笛は、3日後に迫った「死への旅立ち」を予言するかのようにどことなく寂しげなサウンドだ。オーティスはなぜこの曲のヒットを予言し、歌詞の中で人生への不安を語り、レコーディング本番でなぜ突然セリフを失ったのか。そして彼が最後に語りたかったセリフとはいったいどんな言葉だったのか。いくつもの謎が今もって謎のままだからこそ、この曲が人々の心に残る名曲に成り得たのかもしれない。ともあれ、この「ドック・オブ・ザ・ベイ」の口笛によるエンディングは、聴く人の心の奥まで入り込むオーティス・レディング自身によるレクイエム(鎮魂歌)のフレーズであることは間違いない。

欽ちゃんはなぜ80年代のTVで高視聴率を取り続けたのか。

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80年代の日本のテレビ界で、30%~40%と今では考えられない高視聴率のバラエティ番組を次々に作り合計「視聴率100%男」と呼ばれたお笑いのプロデューサー欽ちゃんこと萩本欽一氏は現在76歳。年齢を重ねた今、自分の生き方の過去を振り返った雑誌インタビュー記事が興味深い。しゃべくり漫才が中心だったお笑いの世界でコント漫才で世間を笑いの渦に巻き込んだコント55号の時代は「体を張った20代」だったと回想、そして坂上二郎との漫才コンビを解消しバラエティ番組の司会などで人気を博した「頭を使った30代」、さらにお笑いのプロデユースを手掛けてテレビで30%~40%という高視聴率を次々に稼ぎ出した「目を使った40代」というように年代別の「自分の生き方」について語っている。なかでも「視聴率100%男」と世間で呼ばれていた40歳代の自分について「眼力を働かせた時代」だという点に「高視聴率」を生み出し続けたヒントが隠されているように思われた。欽ちゃんが作る番組に出演する素人でも歌手でも俳優でも、彼の持つ「人を見抜く力」によって配役が決められ、視聴者をテレビの前に釘付けにするバラエティー番組が次々と生れていったのである。「この人物を起用すればこの番組は必ずヒットする」という欽ちゃん固有の「人を見ぬく力」を示すエピソードをふと思い出した。70年代のアイドル歌手として伝説にまでなった山口百恵が、欽ちゃんの司会する「スター誕生」というオーデション番組に13歳の時に出演し不合格だったのを欽ちゃんがその年齢に似合わないひたむきな態度を見ていて「彼女は必ず大物になる」と直感、番組製作者側に訴え、無事合格させたという逸話である。大衆に受け入れられる「何か」を持った山口百恵の才能を、その天性の嗅覚と確かな眼力で見抜いた萩本欽一氏が、その後不世出のお笑いのプロデューサーとしてテレビ界に名を馳せることになったのは必然の事だったと言えるだろう。

「死ぬまでに使い切る」すでに172億円を寄付した億万長者が居る。

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世界トップシェアを誇る小型モーターメーカー日本電産の創業者永守重信氏は、研究資金に悩む大学に次々に私財を寄付すると支援を発表、14年に京都府立医科大学にガン治療のための陽子線設備費に私財70億円を寄付すると約束し、17年には京都大学に次世代モーターの研究費2億1千万円の支援を約束、20年京都学園大学が新設予定の工学部には100億円以上の私財を研究資金として寄付すると発表している。資金難に喘ぐ大学に次々と私財を寄付し続けている永守氏にその真意を尋ねると「全部使ってあの世に行くということや」とさらりと言ってのけたのである。永守氏に創業者にありがちな金銭欲がまるで無いのは、創業から5年目33歳の時に会社が倒産の危機に瀕したため京都の神社の鑑定を受けたら「1年後に運命が変わる」というお告げがあり実際に1年後には倒産の危機を乗り越え、その後世界シェアトップの企業へと大きく成長を遂げられたという不思議な出来事に由来してるのかもしれない。永守氏は人の2倍働くをモットーに1日16時間働き正月元旦の午前中を除いて1年365日働き続けてきた努力一筋の経営者でありながら儲けた金を私財として蓄えることをせずに教育発展のために寄付することで惜しげもなく使っている。「税金で納めるとどう使われるかわからんけど、寄付なら使い道がはっきりしている。教育への寄付が一番良い」と寄付の動機を述べている。今日あるのは自分の努力だけでは無い目に見えない神様の力添えがあったからこそ、という33歳の時の神のお告げに恩返しするつもりで、稼いだ私財を寄付し続けることを永守氏は少しも惜しまないのかもしれない。

100歳人生当たり前、老後は何と40年、転ばぬ先のツエが要る。

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長寿の国ニッポンは、100歳以上のお年寄りが現在6万人を超えもうすぐ10万人を突破する時代が来る事が確実視されている。イギリスの著書「ライフシフト」によれば長寿の国(日本)では、人生80年では無く「人生100年設計」が必要な時代が到来していると言う。学校で教育を受ける約20年、社会に出て仕事をする約40年、引退後の生活約20年という3つのステージで人生設計をこれまで行ってきたが、これからの人生100年の時代には3つ目のステージが人生で一番長い40年間のステージとなる。これまでの引退生活と言う単純なククりでは済まない40年という長い期間を、「転ばぬ先のツエ」ではないが早目の対策が必要だろう。先進諸国の中で、社会人になってからの学校再入学や地域活動への参加などの割合がもっとも低いと言われる日本人、引退後も自分が社会に関わり続けられるような人生プランを現役時代から準備しておく事が肝要だ。また、社会で働いている現役世代の頃から老後のための資産つまりお金の資産では無い、目に見えない「無形資産」、生活スキル(技術)や体力維持(ヘルスケア)や人間関係(コミュニケーション)などの「蓄え」をしておく必要があると言う。言われてみれば確かに800メートル先がゴールだと思っていたのに1000メートル先にゴールが伸びたとなれば走る力の配分も走り方も当然違ってくるだろう。老後と一口に言うけれど、40年という長いスパンで老後を過ごす事になれば初めの20年は「自分はまだ壮年」という体力や精神力を維持しながら走り続けねばならないだろう。やれやれ、ハッピーリタイアメントと言ってから、さらに20年を若い世代と同様に走り続けねばならないこれからの老後人生はかなりハードな道のりだ。

金正恩は頼みのツナ中国を怒らせてしまった、もう後が無い。

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中国による核実験中止要請に対して「中国は我が国の尊厳と権利を犠牲にするのもいとわない大国中心主義の国家だ」と中国を名指しで批判した北朝鮮。中央通信テレビのこうした批判に対して、中国は本気と思える北朝鮮への警告を行った。「中国の国益について理解してない北朝鮮にレッドラインがどこにあるかをわからせる必要があり、もしあらたな核実験をすれば、中国は前例のない厳しい措置を取る」と宣言した。ここで言う中国の「国益」とは、つまり北朝鮮がアメリカ・韓国など自由主義国家からの防波堤となりうる友好国という認識を金正恩がまったく理解できていないという意味だ。そしてレッドラインとは言うまでもなく次に予定している核実験の事だ。金政権の初代金日成・2代目金正日は中国に忠実であったのに対して3代目金正恩は祖父・父親が中国を足繁く訪問して忠誠を誓って居たのに金正恩は政権を掌握した当初から今日まで1度も中国を訪問していない。加えて再三の中国の忠告を無視し続けて核実験やミサイル発射を強行し続けて居る。中国にとってアメリカからの防波堤の意味を持つ北朝鮮の現在の首領である金正恩をすでに見限ったかのようなこの発言、さらに「中国は前例のない厳しい措置を取る」という最終通告。いよいよ金正恩政権の生命線である中国からの石油のパイプラインを中国が強制的に止めてしまう事態が次の核実験が強行されれば起こるかもしれない。33歳の暴君金正恩の若さ故の傍若無人なその振る舞いによって北朝鮮は、いよいよ国家崩壊の時を迎えつつある。