ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

フランス「日本警察は手ヌルイ」で、日本人仏留学生依然不明はどうなんだ。

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フランスから日本観光に訪れたフランス人女性がつい先日、日光で行方不明になった。警察による懸命の捜査活動が続く中、案の定フランスの家族が「日本の警察の捜索が手ヌルイ」とマクロン大統領に手紙を書いて、日本政府への強い働きかけを要望したという。この行為についてフランス人の多くは「なぜ大統領にまで直訴した」と批判する声が多かったと、雑誌「フィガロ」が伝えている。ここで思い出されるのは昨年フランスで日本からの女子留学生が行方不明になり、案の定「迷宮入り」してしまった事件が思い出される。これは明らかに殺人事件の臭いがする事件だったのに、日本の家族は「フランスの警察は手ヌルイ」と安倍首相にフランス政府に強く申し入れるよう訴えることはしなかった。国民性の違いといえばそれまでだが、お互いが法治国家なのに、フランス人家族が日本の警察の捜索能力を鼻から疑ってかかるというその「上から目線」が気に食わない。というより、日本人女子大生の殺人事件を「迷宮入り」させてしまったフランス警察の捜査の手ぬるさは一体何なのか。そこには自国民ではなく一時滞在の日本からの留学生の事件だからという安易なフランス側の捜査体制が無かっただろうか。日本もフランスもお互い先進的な法治国家とは言え、お互いの国の警察の捜査能力に被害者家族が疑心暗鬼するこうした事件はこれからも後を絶たないだろう。一度国外へ出たら「自分の身は自分で守る」しかないという「厳しい現実」を知っておくべきだと、フランスと日本で起きた2つの事件を通して学ばされた。

2刀流「9月復帰」で大谷翔平の本塁打20本はフイになる。

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エンゼルス大谷翔平選手の打撃が好調を続けている。右ヒジのケガから復帰した7月には本塁打3本、8月に入ってすでに本塁打は3本、ケガをした6月を除けばコンスタントに本塁打を打ち続けて現在トータル12本、このままいけば1シーズンで20本打つことが可能なのだ。あのヤンキースに在籍した松井秀喜選手でさえ最初のシーズンは本塁打16本どまり、マリナーズに在籍した城島健司選手は最初のシーズン18本で日本人選手の新人最高記録を残しているが、シーズン半ばまで2刀流だった大谷選手が本塁打20本打てば打者としてだけでも日本人選手新記録になる。ところが、現在エンゼルス球団は大谷選手の2刀流への復帰を急いでいて8月12日からブルペン投球を開始すると発表した。始めは捕手を立たせてのピッチングから始めて9月には試合に登板させる予定だという。そうなると、現在の本塁打20本ペースは確実に下るだろう。長いブランクの後の9月の復帰登板で投手として勝利することもかなり難しい。エンゼルス球団は、昨年同じ9月に右ヒジ痛から復帰し、9月の1ヶ月間で2敗を喫し、今シーズン7月に「トミージョン手術」を受ける羽目になったギャレット・リチャーズ投手の「悲劇」を思い起こすべきだ。人気目当てでわずか1ヶ月間の「2刀流復帰」を望むより本塁打20本を打てる「ピッチャー大谷」を球団はアト押しすべきだろう。来シーズンには野球の神様「ベーブ・ルース」の2刀流世界記録である1シーズンに「勝利数で13勝、本塁打11本(すでに超えてる)」の大記録を大谷選手が破る事は確実なのだから。

 

 

森田組組長と深く結びつくボクシング山根会長、監督官庁は何してた。

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マチュア組織である日本ボクシング連盟を牛耳る山根会長は元ヤクザで山口組暴力団森田組組長と50年以上に亘る付き合いがあったというニュースは実に衝撃的だった。山根会長自身もまったく悪びれずにその交友関係を認め、森田組組長だった森田昌夫氏はテレビの取材に対して「彼(山根)と俺と(の付き合いを始めたの)は20代の頃やからかれこれ50年以上になるわけや」「(山根は)元はヤクザや、ワシの下で6〜7年ヤクザしてた」と証言したのだ。この森田氏が山根氏とは弟みたいな関係だったという発言について改めて問われた山根会長は「そうですか、本人(森田氏)が言うならしゃあない」とあっさりとその関係について認めたのだ。日本ボクシング連盟会長に就任後も暴力団元組長との交友を続けていた点についても「別に問題はなかったと思う」と山根会長は答えている。50年以上も続くという任侠の世界でのお付き合い、それはそれで山根会長が言うようにアマチュアボクシングとは何の関係も無いのかも知れないが、こうした人物を、国の助成金(国民の血税)を受け取る組織の会長に据え続けていたことこそが大問題だろう。文科省スポーツ庁といった日本ボクシング連盟監督官庁は、何をしていたのか。アマチュアスポーツの世界にいつのまにか入り込んだヤクザな人間をなぜ発見できなかったのか。連盟の内部告発で発覚した山根会長のワンマン運営ばかりが問題視されているが、彼の素性を見逃してきた監督官庁にも重大な責任がある。山根会長を裁こうとしているようだが、同時に彼に会長職を任せ放しだった監督官庁の当時の責任者達も裁かれて当然のように思われる。

広島原爆投下からたった65日、廃墟の日本で大ヒットした「リンゴの唄」。

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我々日本人の精神がいかにしたたかなのかを物語る歌謡曲「リンゴの唄」の大ヒットをご存知だろうか。日本が広島・長崎への原爆投下によって敗戦を迎えた1945年8月15日からわずか56日後の10月10日に封切られた映画「そよかぜ」の挿入歌として発表されたのが並木路子が歌った「リンゴの唄」だった。人類史上初めての広島・長崎への原爆投下、我が国土は焦土と化し、この戦争で日本人300万人以上が犠牲となり憔悴しきっていたはずの終戦直後の日本国民の多くがこの歌に飛びつき大ヒットを記録した唄なのだ。この歌をヒットさせた映画「そよかぜ」は当然のことながら戦時中にすでに製作されたもので映画会社松竹がこの映画を製作したのは広島・長崎に原爆が投下されたのと同じ8月のことだった。そのねらいは「連日の空襲で意気消沈している日本人に連夜の空襲の恐怖を忘れさせる明るい映画を作ろう」だったという。そして間もなくの終戦、敗戦のショックから冷めやらぬままの10月10日にこの映画は占領国アメリカの検閲を経て封切られ、映画そのものは不人気だったが挿入歌「リンゴの唄」が大ヒットしたのだ。食べるものもままならず着の身着のままで焼け跡に佇み憔悴しきっていたはずの日本国民は、戦争で父と兄が戦死し空襲で母親までも亡くしていた歌手「並木路子」が健気にも明るい声で歌った「リンゴの唄」に明るいニッポンの未来を見ていたのかもしれない。当時としては異例と思えるレコード売上33万枚という記録を見ると日本人は2度の原爆投下も敗戦の苦しみもモノともしない何としたたかな国民なんだろうと、つくづく感心させられてしまうエピソードではないだろうか。

村田諒太は、なぜ日本ボクシング連盟「山根会長」を裏切ったのか?

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マチュアボクシングの総本山日本ボクシング連盟の山根会長が、その独裁的な連盟の運営を各都道府県の連盟役員総勢333人から非難告発された事件。組織下部からのこれだけの突き上げを受ける中で、山根会長は「辞任する気はない」と強気一点張りだ。そんな中、アマチュアボクシング連盟にかつて所属し6年前のロンドン五輪で金メダルを取り、山根会長とも関係が深かったWBA世界ミドル級チャンピオン村田諒太選手が、フェイスブックに「そろそろ潔く辞めましょう」と書き込んだのだ。これを見た山根会長が「生意気だ」とテレビ番組に出演して村田選手への怒りを露わにした。その理由は、村田選手がオリンピックで金メダルを取った時「このメダルは山根会長のメダルです」とまで言ってくれたのにそれを裏切るような「発言」を今になってするとは許せないという事らしい。村田選手が6年前に口にしたミエミエの「お世辞の言葉」を真に受けた御年78歳の山根会長。あげくに「村田くんは1人で金メダルを取れる力はなかった」とまで語り、自分がオリンピックの審判に働きかけたお陰で取れたのだとまで言い放ったのだ。こんな次元の低い発言しかできない山根会長に対して今回告発した333名への支持をすでに表明している村田選手は、会長を「裏切った」のではなく「見放した」と言う方が正解のように思われる。今後、告発状を受理したスポーツ庁日本オリンピック委員会JOC)により山根会長への裁きが下されるのだろうが、それより前にボクシング界を代表する有名人である村田諒太選手が放った「引退勧告」という必殺カウンターによって山根会長は「お前はもうKOされている」状態と言えるのかも知れない(笑)

大谷翔平、打席をワザと外して2打席連続のホームランを放った。

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エンゼルス大谷翔平選手が、インディアンス戦で初の2打席連続ホームランを放った。メジャー入りして初めての2打席連続弾に多くのファンは沸き返ったが、それを実現するために繰り広げた相手投手クレビンジャーと大谷選手との2打席目での「駆け引き」シーンに驚嘆した。クレビンジャー投手は1打席目でホームランを打たれている大谷選手を当然のことながら警戒して、3球目まではストライクゾーンを外しての慎重なピッチングだった。敬遠するかのようなクレビンジャー投手のピッチングを見てとるや、4球目が投じられる直前に大谷選手は何とバッターボックスをワザと外したのだ。するとど真ん中にストライクボール。続く第5球目も大谷選手は外角低めのストライクを見逃し、これでカウントは2−3となり6球目で三振に仕留めようと欲を出したクレビンジャー投手が投げ込んだど真ん中のストライクボールを大谷選手は見事に捉えてライトスタンドへと叩き込んだのだ。打たれた瞬間、クレビンジャー投手は思わず頭を抱え込んでしまう仕草を見せた。つまり、大谷選手の心理作戦にまんまと引っかかってしまった自分のピッチングを悔やんだ表情を見せたのだ。3ボールから投じた4球目に打席を外した大谷選手を見てクレビンジャー投手は大谷選手が「フォアボール狙い」だと勘違いしたのだ。5球目も大谷選手はバットを振らない、「これは三振が取れるかもしれない」欲が出たクレビンジャー投手は6球目をど真ん中に投げてまんまと2打席連続ホームランを打たれる破目になってしまったというわけだ。大谷選手の「バッターボックスをワザと外す」という巧妙な「駆け引き」が無かったら同じ投手から2打席続けてのホームランは決して生まれなかっただろう。「さすが大谷」である。

ウンザリ猛暑、「気象工学」技術で日本の気温を2℃下げられるのに。

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埼玉県熊谷市で史上最高温度41.1℃を記録したり東京都でも40℃超えと全国的に猛暑が続き、熱中症患者が後を絶たないこの夏の暑さ、まったくもってウンザリさせられる。これだけ科学が発達した時代に、広範囲で気温を下げる技術は無いものかと思ったら、ジオエンジニアリング(気候工学)の研究者が編み出した太陽光放射管理(SRM)という技術を使えば実際に現在の気温を2℃も下げられるという。そのヒントとなったのは27年前の1991年に噴火したフィリピンのピナツボ火山の噴火で、噴火後2年間ピナツボ火山の周辺地域の温度が0.5℃も下がった点が注目された。つまり、火山の大規模な噴煙によって地球に降り注ぐ太陽光が噴煙バリアに跳ね返されてしまうためその地域の気温がグンと下がるという単純な理屈だ。これを応用して、気温を下げたい地域の上空に巨大なバルーンを打ち上げて(上図参照)火山の噴煙と同じ効果を発揮できる「エアロゾル粒子」を噴射し続ければ、その下の地域の温度は単純計算で2℃も下げることができるという。言ってみれば猛暑の地域の上空に巨大な「日傘」を差してあげるしくみだ。では、こんな猛暑の日々が続く中で気温低下が可能な「エアロゾル噴射」をなぜすぐにでも行わないのか。広範囲に渡って気温変化を起こすとなれば、それによって起こる地域住民生活への影響や倫理上の問題、隣接地への配慮など様々な問題が生じてくるからだという。しかし「できるのにやれない」なんて科学技術の持ち腐れだろう。猛暑の今こそ、日本最高温度を記録した熊谷市の上空にバルーンを挙げて「エアロゾル噴射」でどれだけの気温低下とどれだけの地域への影響が出るかを実験してみたらどうだろう。実験が成功すれば、酷暑対策が課題とされる2年後の8月開催の東京オリンピックでも競技会場の「日傘」としてエアロゾル噴射を使えるのではないだろうか。