ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

江戸っ子のあなた、左官職人の長兵衛をご存じですか?

 

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イキでイナセで宵越しの銭は持たぬ、など古くから江戸っ子の気質がいろいろと言われて来ているが、なるほど、と頷ける江戸っ子の定義というものに出会った試しが無い。先日たまたま落語全集を読んでいたら、江戸末期に活躍した落語家三遊亭円朝の作品「文七元結」に出会った。この作品は、幕末の動乱の時代、江戸市中が地方出身者で占められるようになって、これに慨嘆した円朝が江戸っ子の心意気を示そうと創作した落語と言われている。物語の舞台は浅草寺に程近い隅田川に掛かる「吾妻橋」、飲む・打つ・買うの典型的な左官職人の長兵衛が主人公の話である。こんな父親に嫌気がさした娘があろうことか吉原に奉公に出てしまう。あわてた父親が吉原の奉公先に駆けつけると出てきた女将が娘を下働きとして預かる代わりに50両を父親長兵衛に支払い、大晦日までにこの50両を返済すれば娘は返す、返済できなければ娘を女郎として働かせる、という話である。その50両を懐にして帰宅を急ぐ長兵衛が吾妻橋に差し掛かると事件が待っている。橋から身を投げようとする若者と出会い、事情を聞けば集金した50両を失くしてしまい、死んでお店の主人に詫びたいという、長兵衛はしばし迷うが、懐にあった50両を若者に押しつけてこう啖呵を切るのである。「てめえは、この五十両がなけりゃ生きちゃあいけねえ、娘は女郎になろうとも、命に別状はねえんだから、安心して持ってけよ、持ってけってんだ」いま、この瞬間大事なことは何なのか、目の前の若者が死ぬことではなく生きること、いま命に別状はない娘の事は後回しでいい。江戸っ子の真骨頂を円朝はべらんめえ口調で見事に表現して見せたのである。三代続けば江戸っ子という言葉もあるが、こうした危機に直面してもリアリストを貫けるイキでイナセな心意気、それが江戸っ子だと、円朝は150年前に語っているのである。