ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

勝利するのに援護はいらぬ。ひたすら黙投し続けた黒田博樹が去ってゆく。

f:id:gunjix:20161018190136j:plain

きょう、契約金21億円のメジャー球団のオファーを蹴って契約金4億円の広島カープへ再入団して話題になった元ヤンキースの先発投手黒田博樹が引退を発表した。帰国した当時は17億円を捨てた男としてその男気が高く評価されたが、彼の投手としての一番の評価は何といっても7年間のメジャーリーグでの活躍ぶりだろう。最初の2年間は9勝・8勝止まりだったがそのあとの5年間は毎シーズン2ケタ勝利を上げ続けた。メジャーリーグでも黒田博樹が屈指の好投手であったことが良くわかる。しかし、彼が登板するメジャーリーグ中継をテレビで観戦していていつもイライラさせれていたのを思い出す。彼がナイスピッチングを続けているのに味方打線が一向に点を取れない、という試合がしばしばだった。挙句に黒田博樹は敗戦投手になるというストレスの溜る試合を何度見せられたか。この味方打線がピッチャーを援護する数値をメジャーリーグではランサーポート(得点援護率)という数値で表される。7年間在籍したメジャーリーグ黒田博樹が味方の打者から受けた援護率は他の投手が味方打線から受けていた平均援護率よりもつねに低い数値だった。7シーズン中6シーズンで平均数値を下回っていたという。言うなれば黒田博樹ドジャースヤンキースで、たえず孤立無援のピッチングを強いられていたのである。それでなお、5年連続の2ケタ勝利をあげていたのだから凄いピッチャーという他は無い。黒田博樹座右の銘は「雪に耐えて梅花麗し」だそうだが、味方の援護も無い状況を耐えてもっとも麗しい「日米通算で203勝」というピッチャーとしての金字塔を打ち建てたことは、将来にも語り継がれることだろう。またひとり伝説の野球選手が消えてゆく。