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ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

革命の英雄チェ・ゲバラがキューバ革命の6か月後、広島に居たナゾ。

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Tシャツやサッカースタジアムのフラッグやロックミュージシャンの衣装などでよく見かける肖像で有名なチェ・ゲバラは、いまだに若者の間で革命のカリスマとして持てはやされ続けて居る。先日亡くなったカストロと共にキューバ革命を成し遂げたゲバラキューバの大臣の地位や医者である身分をも捨てて、その後も一革命戦士としてアフリカや南米の国々で圧政に虐げられる人々と共に戦い続けた挙句、39歳という若さで非業の死をとげた。その生き様が世界中の若者の共感を呼び永遠のヒーローになったのである。その彼がキューバ革命を成し遂げたわずか6か月後に突然日本を訪れた。当時の日本政府は戦勝国アメリカに気兼ねしてゲバラの訪日を歓迎しなかった。ゲバラは臆せず原爆が投下されたヒロシマを訪問し原爆慰霊碑に献花(上記写真右から3人目)、医師でもあった彼は、原爆病院にも足を運んだ。案内した日本人の新聞記者に「日本はなぜ原爆投下の責任をアメリカに問わないのか」と尋ねたという。革命後ゲバラが訪れた最初の外交先が日本そしてヒロシマだったことは今もって謎とされるが、ヒロシマ訪問の5年後、国連総会にキューバ主席として出席したチェ・ゲバラはそこで歴史に残る名演説を行った。要約すると「偉大な人民の行進は真の独立を勝ち取るまで続く、我らの人民はこう叫ぶ、祖国か、死か」といかにも革命への情熱を燃やし続けるゲバラらしい演説であった。キューバ革命の英雄となった後、ゲバラが最初に訪問することを選んだ日本、ひょっとすると、日本が「真の独立を勝ち取る」気持ちがあるなら、共に戦うというゲバラの意思表示だったのかもしれない。思えば、いまだに我が国はアメリカの属国のままで居るのだから。