ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

日本に初めてID野球を教えてくれたダリル・スペンサーが死去。

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53年前、日本のプロ野球チーム阪急(現オリックス)に入団したメジャーリーガーダリルスペンサー氏が亡くなった。彼の日本での活躍やエピソードは数多いが、名将野村克也氏は「日本のプロ野球を変えたのはスペンサーだ」と何度も語っている。その野村氏とスペンサーが三冠王争いをしたエピソードが面白い。外国人選手スペンサーに三冠王を取らせたくない全球団が四球攻めを繰り返し、怒ったスペンサーがバットを逆さに持って打席に立ったというのである。結果は野村克也氏が無事に日本人初の三冠王に輝いたのである。しかし、こうした逆風にもめげずに彼は、日本人がそれまで知らなかったサイクルヒットを自ら記録して見せ、その記録の重要性を日本のプロ野球界に伝えたりもした。さらにはスペンサー氏の教えで最も画期的だったのが、「打者は相手ピッチャーの投球のクセをデータ化しそれを頭に入れて打席に立て」、という今で言うID野球の基本を日本の選手たちに教えたことだろう。経験やカンに頼るのではなく科学的にデータを作成しプレイするという現代野球のノウハウを半世紀以上前に日本へ伝えたメジャーリーガーだったのである。5年前、ロサンゼルスで日本のスポーツ紙のインタビューを受けた際にスペンサー氏は「ずっと待っているんだが、日本から野球殿堂入りの話が来ないんだ」と笑って答えたというが、彼の日本プロ野球界への貢献度は計り知れないものがある。すぐにでも殿堂入りを実現してあげたい、と思う往年のプロ野球ファンは多いに違いない。