ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「ワキが甘い」のを小池知事に見抜かれた石原元知事の「哀れな末路」。

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東京都の百条委員会が待ち受ける石原元都知事にとって悪い流れがはじまっている。昨日の豊洲問題の記者会見での「知らぬ存ぜぬ」の言い訳や「この問題は私一人では無く都全体の責任だ」という言い逃れは「無責任すぎる」とマスコミこぞっての集中砲火を浴びている恰好だ。思えば、週に3日しか登庁しなかった殿様知事だった石原氏の都政への関わり方は「興味のある事ないことへの対応の差が激しかった」と都の職員達から口々に評され、大学時代からの友人でもあった浜渦副知事からも「石原知事は豊洲移転への興味が低かった」と証言されている。その結果、「用地買収の状況や交渉内容について知り得る立場にありながら知ろうとしなかった」という石原氏のいい加減な都政への取り組み姿勢にマスコミでの批判が一気に噴出したのである。豊洲の移転への「関心も興味も低かった」という石原氏の都政に取り組むこの「ワキの甘さ」を小池都知事はしっかりと見抜いてしまったのである。思えば、湘南ブームの端緒になった小説「太陽の季節」を書いて芥川賞を受賞し、世間に華々しくデビューした石原慎太郎氏は当時の国民的な大スターだった弟の石原裕次郎氏と共につねに大衆の心をつかみ続け、政治の世界へ転身した後も常に人々の脚光を浴び続けるという人生の王道を歩んできた。その彼が、都政への取り組みの「不誠実さ」から齢84にして文字通り「晩節を汚す」終焉を迎えるとは誰が想像しただろうか。彼の最近の著作である「天才田中角栄」氏の不幸な末路と似たような人生の結末を迎えるとはあまりにも悲し過ぎる現実ではないだろうか。