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ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

欽ちゃんはなぜ80年代のTVで高視聴率を取り続けたのか。

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80年代の日本のテレビ界で、30%~40%と今では考えられない高視聴率のバラエティ番組を次々に作り合計「視聴率100%男」と呼ばれたお笑いのプロデューサー欽ちゃんこと萩本欽一氏は現在76歳。年齢を重ねた今、自分の生き方の過去を振り返った雑誌インタビュー記事が興味深い。しゃべくり漫才が中心だったお笑いの世界でコント漫才で世間を笑いの渦に巻き込んだコント55号の時代は「体を張った20代」だったと回想、そして坂上二郎との漫才コンビを解消しバラエティ番組の司会などで人気を博した「頭を使った30代」、さらにお笑いのプロデユースを手掛けてテレビで30%~40%という高視聴率を次々に稼ぎ出した「目を使った40代」というように年代別の「自分の生き方」について語っている。なかでも「視聴率100%男」と世間で呼ばれていた40歳代の自分について「眼力を働かせた時代」だという点に「高視聴率」を生み出し続けたヒントが隠されているように思われた。欽ちゃんが作る番組に出演する素人でも歌手でも俳優でも、彼の持つ「人を見抜く力」によって配役が決められ、視聴者をテレビの前に釘付けにするバラエティー番組が次々と生れていったのである。「この人物を起用すればこの番組は必ずヒットする」という欽ちゃん固有の「人を見ぬく力」を示すエピソードをふと思い出した。70年代のアイドル歌手として伝説にまでなった山口百恵が、欽ちゃんの司会する「スター誕生」というオーデション番組に13歳の時に出演し不合格だったのを欽ちゃんがその年齢に似合わないひたむきな態度を見ていて「彼女は必ず大物になる」と直感、番組製作者側に訴え、無事合格させたという逸話である。大衆に受け入れられる「何か」を持った山口百恵の才能を、その天性の嗅覚と確かな眼力で見抜いた萩本欽一氏が、その後不世出のお笑いのプロデューサーとしてテレビ界に名を馳せることになったのは必然の事だったと言えるだろう。