ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

妻の死を見世物にしつづけている海老蔵になぜか違和感。

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妻の麻央さんがガンで亡くなった歌舞伎俳優の市川海老蔵が亡くなってすぐ翌日に大勢の報道陣を前に記者会見を行った。時折、涙を流しながら夫婦で最期となったプライベートな会話でさえ「愛してると言って旅立ちました」と報道陣に公開したのである。海老蔵と言えば毎日のように綴る赤裸々なブログで知られているが、死亡会見の翌朝には早速ブログを綴り「少しでもママの傍に居たいと」と麻央さんの棺の置かれた板の間で眠る長女の写真をアップした。闘病中の妻には闘病生活をブログで綴ることをすすめ麻央さんの闘病のブログは260万人以上がツィートしていたと言う。そして死の翌々日には休演することなく舞台に立ち、いつもと変わらぬ海老蔵のあでやかな演技に、満員の観客は総立ちになり昼夜公演の舞台で4度もカーテンコールが巻き起こったと言う。妻の死という夫であれば誰しもが悲嘆に暮れて自分を失ってしまう出来事に極めて冷静に対処し、客観的にその死のドラマをマスコミやネットの先にいる大向こうの人々に見せ続けている市川海老蔵は真の歌舞伎役者魂を持っている役者として称賛されるのか、はたまたシニア世代の私が感じたように妻の死をあたかもお涙頂戴の見世物として世間に公開することを厭わない夫・海老蔵に対してある種の「違和感」を感じた人がどれぐらいいただろうか。古い世代の自分にとっては「死の尊厳」というものがこうした海老蔵の芝居がかった世間への見せ方によって色褪せはしないだろうか、と老婆心ながら考えた次第である。合掌。