ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

殺された9人は善人の顔してるけど「親鸞」の教えでは悪人になる。

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座間の自殺サイト連続殺人事件の被害者全員の身元がようやく判明した。1都4県にまたがる広範囲に住んでいた15歳~26歳という人生これからの若い命ばかりだった。公開された被害者の笑顔あふれる顔写真を見ていて真っ先に思ったのは9人すべてが「善人」の顔をしている人達だということだった。「善人」がなぜ理不尽に殺されなければいけない運命だったのか。それが解明されるにはさらに時間が必要だろうが、ここでふと親鸞聖人の理念を著したという「歎異抄」(たんにしょう)の中に書かれている有名なコトバが頭に浮かんできた。「善人なをもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」善人は極楽浄土へ行けるのは勿論だが悪人もそうだ、というこの訓え。親鸞が言う悪人とは犯罪者と言う意味ではなく弱者を意味し、これは弱者を救うためのコトバなのだ。ここで言う善人とは自分の力で善を成し得る人、ここで言う悪人とは「他力」を頼らなければ善を成し得ないと思っている人(弱者)という意味だ。つまり自力で物事を成しえない悪人(弱者)こそが阿弥陀様の本願の正客(慈悲を授かれる人)だ、と親鸞は説いているのだ。今回の事件は人生の未来を自力で解決することに悩んだ若い人たちが、うかつに怪しげな「他力」を頼ったために生じた悲劇的な事件だった。往生を遂げるために頼った先に恐ろしい「殺人鬼」が待ち受けしていたという訳だ。こうした悲劇が繰返されない事を願いつつ、未来のある若者が「自力」で物事を解決できないと思ったら例えば昔からある「親鸞聖人」の訓えのような安全な「他力」(宗教)を頼るなどして、何とか人生の危機を乗り越える術を見つけて欲しいと心から祈りたい。