ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

1人のギャングも逮捕されなかった聖バレンタインデーの虐殺。

f:id:gunjix:20180214101116j:plain

89年前の1929年のバレンタインデーにアメリカのシカゴで起きた「聖バレンタインデーの虐殺」。シカゴのギャング同士の密造酒をめぐる抗争事件であったが、まるで映画の一場面をみるかのようなドラマ仕立てのストウリーはその後ハリウッドで映画化までされ89年経った今でもバレンタインデーの「闇の記憶」として語り継がれている。事件の発端は、アル・カポネ率いるギャング団とモラン率いるギャング団がシカゴで血で血を洗う抗争を繰返していた中で起こった。バレンタインデーの早朝、カポネ達から強奪したウィスキーを運送会社の倉庫から運び出そうとしていたモランの手下達の所に警察官に扮装したカポネ側のヒットマンが現れ、壁に一列に並ぶように指示するといきなり隠し持っていたマシンガンを取りだしモラン一味をハチの巣にしたという凄惨な事件となった。虐殺されたモランの手下は7名、モランは倉庫への到着が遅れて前にパトカーが停まっているのを発見し逃亡していたため無事だった。一方のカポネはフロリダで警察の事情聴取の真っ最中ではっきりとしたアリバイがあった。当時のシカゴ警察はこれはギャング同士の抗争事件であり事件現場に双方の親分だったモランもカポネも居なかったことで一人の逮捕者も出さずにこの凄惨な事件の幕を閉じてしまったのだ。恋人同士が愛を語り合うバレンタインデー、89年前のシカゴでは愛どころか命を懸けたギャング同士の闘いがあった事を記憶にとどめておきたい。