ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

西部邁さんは、三島由紀夫と同じ「死に方」を選んだ。

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3ヶ月前に入水自殺した評論家西部邁さん、論客として知られた彼が予告通りに自殺したことは多くの人々に大きな衝撃をあたえた。しかし、死後3ヶ月も経たない今の時点で、氏の自殺を幇助した2人の人物が逮捕され、西部氏単独での自殺ではないことが判明したのだ。この事実を知るに及んで23年前56歳の西部氏がある対談で作家の三島由紀夫の割腹死事件についての感想を述べていた話をふと思い出した。西部氏は「政治の場面で言葉を吐くとどうしてもそれに責任を取らざるをえなくなる。三島さんはご遺族は怒るかもしれないけれど『俺は命を懸けて闘ってみせる、死んで見せる』という言葉を(楯の会の同士達に)吐いた」その結果として「三島さんは己の言葉に責任を持った、あるいは持たざるを得なかった。だから死んで見せると言ったから死んでみせた、ということなんだろうと推論してみたわけです」と語っているのだ。たしかに三島由紀夫は「楯の会」のメンバーに「切腹してみせる」と決意を語り、会のメンバーの介錯によって自分の死を遂げている。西部氏もまた周囲に自殺を公言することで自らを次第に追い詰めていったと思われる。つまり自分の(自殺するという)言葉に責任を取ったのだ。そして2人の自殺幇助者が居たことも三島由紀夫の盾の会の仲間の介錯によっての死に方と奇妙に符号している。西部氏が生前口にしていた「人間は1人で生まれて、1人で生きて、最期は1人で死んでゆくもの」という言葉がなぜか虚しく聞こえるのは私だけだろうか?