ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

亡くなった桂歌丸さん、「笑点」司会の後任にナゼ若手を選んだのか。

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先日81歳で亡くなった落語家の桂歌丸さん。晩年は圓朝作品など古典落語を語ったが一般にはテレビ番組「笑点」の司会者として10年間を努めたことで有名だった。「笑点」がテレビ番組としてスタートしたのが52年前の1966年、当初から出演していた歌丸さんはこの番組が同じスタイルを長く続けていることに「マンネリでは」と批判されると「マンネリってことは長く続いているって事だからね。それを批判するってのはそれだけ見てるってこと、あるいは気にしてくれてるってことでしょ」と気にするどころかむしろ喜んだと言う。そのブレない姿勢は、2年前体調不良から「笑点」の司会を降板して後任の司会者を誰にするかの人選にも表れていた。次の司会者は当然笑点メンバーから選ばれるだろう、順送りでは三遊亭円楽になるだろうというのが大方の予想だった。しかし、桂歌丸さんが後任に選んだのは笑点のメンバーで若手の部類に入る春風亭昇太さんを指名するというサプライズ人選だった。「なぜ昇太に」と訝る円楽を気にせず歌丸さんは若手の抜擢の理由をこう語った。「まず若さ、明るさ。そして即興力があるわけですよ。あの方は新作落語をやりますよね。古典も“昇太流の古典”でやる。同じネタでも昇太さんがやるとガラッと違ってきちゃうわけです。笑点はこれから何十年も続けてもらいたい。そのために若い昇太さんを推薦しました」10年あるいは20年という長いスパンで「笑点」という番組を見ている、その姿勢はまったくブレていないのだ。そして歌丸さんの口ぐせ「舞台に並んだら全員同格、上も下もない」その気っ風の良い落語家としての姿勢は実に素晴らしかった。ご冥福をお祈りしたい。