ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

黒人奴隷をサムライに出世させた信長の眼力、ハリウッドで映画化。

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今から437年も前の天正9年、織田信長に謁見したイエスズ会の宣教師ヴァリニャーノに同行していた黒人の召使を信長は大変気に入り家臣として召し抱えた話は有名だ。「信長公記」には「切支丹国より黒坊主参り候」「十人力の剛力」「牛のように黒き身体」と記述されている。信長は、黒人に弥助という名を与え、私宅と腰刀を授けていわゆる扶持持ち(米を支給する)士分(侍)として扱ったという。437年も前に下人や奉公人として雇うのではなく立派な侍として黒人弥助を家臣に取り立てたという人種差別の偏見を一切持たない信長をリスペクトした映画「ブラックサムライ」がハリウッドで映画化されることが決まった。奴隷という差別された身分の黒人が当時の天下人織田信長によって解放され、武士になることを認められて信長の終焉の地「本能寺」でも武士の一人として勇敢に明智光秀軍と戦った弥助こそ「侍」の理想像だというのが映画「ブラックサムライ」の製作意図だという。たしかに、当時の西洋人は皮膚の色が黒いというだけで黒人を差別したが、437年もまえの15世紀の時代に、信長は差別どころか家臣として黒人を遇したという点に白人が驚いたのだ。信長は異文化に対してつねに前向きな姿勢の持ち主で、戦いに西洋式火縄銃をいち早く取り入れた事でも知られるように背が高く屈強そうな黒人を見るなり皮膚の色で差別するどころか屈強な兵士として採用したいと思ったに違いない。織田信長の信条でもあった「人生夢幻の如くなり」弥助の「人生」を差別するのか、侍として活かすのか、その答えは信長らしく実に明快だった。映画の完成が待たれる。