ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

歴史的な伝説の女スパイ「マタ・ハリ」実はスパイ活動はしてなかった。

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1900年代始め第一次世界大戦でドイツ軍のスパイとしてフランス軍の諜報活動していたとされる美貌のダンサー「マタ・ハリ」。後にグレタ・ガルボマレーネ・デートリッヒというトップ女優が彼女を演じた映画によって世界的に有名な女スパイとして知られるようになったマタ・ハリの名前。実は彼女のスパイとしての諜報活動をしていたという証拠は当時から現在に至るまで何一つ残されていない。というのは、マタ・ハリはダンサーであると同時に高級娼婦をなりわいとしていて当時のフランス軍やドイツ軍の数多くの高級将校とベッドを共にしていた事を理由にされて「国際的な女スパイ」という濡れ衣を着せられてしまったというのが事の真相なのだ。オランダ生まれの白人でありながらかつて夫(後に離婚)の赴任先であったスマトラ・ジャワの地で覚えたジャワ舞踊をパリの社交界で披露したことで当時のヨーロッパで「ジャワからやってきた王女」として名声を博し、マレー語で太陽を意味する「マタ・ハリ」の芸名とそのエキゾチックな美貌でミラノのスカラ座に出演するほどのトップダンサーにまで彼女は登りつめた。そのダンサー業のかたわらパリの社交界では高級娼婦を生業にしていた「マタ・ハリ」。当時、ドイツに対して戦況が不利になっていたフランスの軍部はこれに目をつけてフランス軍の戦略上の失敗は高級娼婦マタ・ハリのドイツ軍への密通によるものだったと架空の話をデッチ上げたのだ。そして彼女を逮捕し銃殺刑にしてしまった。このマタ・ハリの処刑についても幾つかのエピソードが残されている。銃殺隊は彼女の美貌に惑わされないよう目隠しをして引き金を引いたとかマタ・ハリが処刑の寸前に投げキスをしたとか、美貌ゆえの悲劇的な人生を生きたマタ・ハリの41年の生涯。まさに美人薄命のイリュージョン(幻影)だったと言えるのではないだろうか。