ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

あのエデット・ピアフにいじめ抜かれて大成したアズナブールさん死去。

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シャンソンの神様と呼ばれたシャルル・アズナブールさんが94歳で亡くなった。戦後のパリのシャンソン界で活躍した歌手エデット・ピアフ、イヴ・モンタンジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなどと共にシャルル・アズナブールは歴史的なシャンソン歌手として永遠にその名は残るだろう。彼がシャンソン界で知られるようになったのはあの「愛の賛歌」を歌ったエデット・ピアフに見出されたからというのが定説になっているが、ピアフは当時まだ22歳のアズナブールを身近において可愛がるどころかツアーのカバン持ちや雑用などにコキ使い彼の作曲の才能を決して認めようとしなかった。ピアフのアズナブールに対するサディスチックな振る舞いの連続に周囲はあきれ、アズナブールの作曲の才能を認めようとしない彼女について「プロとしてのピアフが犯した最大のミス」とまで影で批判していた。しかしアズナブールはピアフの様々な仕打ちにじっと耐えながら「日曜はキライ」という曲を作りあげピアフに差し出したところ彼女は歌うことを拒否、仕方なく彼はジュリエット・グレコにその曲を提供、グレコシャンソンコンクールでその歌を歌い何と1位となり「エデット・ピアフ賞」を受賞してしまった。ピアフは当然のように彼に対して激怒したにも関わらず後に何食わぬ顔でこの曲を自分のレパートリーに加えてしまっている。エデット・ピアフは弟子として採用したアズナブールをなぜこれほどイジメ抜いたのか?今持って謎とされているが、それは、アズナブールが自分をしのぐ「天性の音楽感性」を備えていることにある日ふとピアフは気づき「恐怖」を覚えていたからに他ならない。